History
創業者である安岐豊は、瀬戸内の小さな島、豊島の漁村で漁師の息子として生を受けた。
10人兄弟の下から2番目、決して豊とは言えない家庭で育つ。
当時の島では珍しく高校に進学、18歳で豊島の漁業協同組合に就職、地元の仕事に就く。
日韓基本関係条約締結・国交回復と同時に、豊は香川県からの視察団に参加し韓国へ。
そこで港に山積みされた魚介類を目にし、豊富な資源に圧倒される。
その時の強烈な光景が後に創業者を海外に向かわせることになった。
何度も何度も韓国へ通い、そしてタイ、インド、ベトナム、スリランカ、フィリピンへと活動の場は広がっていった。
豊の行き先は当時電話も繋がらない僻地。
時には村の長の家に泊めてもらいながらの技術指導だった。
それでも日本人が刺身で食べられるものを作って届けたいという熱い情熱が変わる事はなかった。
現地の漁師さんと一緒に漁船に乗り込み、漁法を指導。
そして、どうやって鮮度を保った状態で加工場に持ち込むか、加工場での捌き方、処理の仕方を指導、
凍結保存し日本へ着くまでの鮮度保持を実現させていった。
インドではアオリイカの水揚げする海岸を皆が『Aki-san‘s Beach』と呼んだ。
創業者 安岐 豊が一貫して思い続けて来たこと、
『素材を大切にする』という精神は安岐水産の原点となる。
海外で漁獲されたイカの細胞を壊さないよう現地で技術指導、
最高の鮮度で国内へと輸入してきた。創業以来、海外への指導は今も続く。
一次加工して日本に輸入されたアオリイカを創業者夫婦が手作業で細切りし商品化、『いかそうめん』の誕生だった。
細切りする機械を近所の鉄工所に作ってもらい、そして次は機械メーカーさんに作ってもらった。
いかそうめんは、爆発的に売れ作っても作っても足りなかった。
二代目社長となった安岐亨は、魚の目利きであった。
美味しさを保持する魚の旬と鮮度を見極め、豊から受け継いだ『素材を大切にする』という精神に磨きをかけていった。
三代目社長となった安岐麗子は、魚を食べる人が減少する中、
『お魚生活すすめ隊』を結成、魚食文化を次世代へつなぐ活動、
そして海の環境保護活動も実施。
コロナ禍で行き先のなくなったお魚を使った調理キットを開発、
オンラインショップでの販売を開始する。
津田町漁協の漁師さんたちと『津田港わくわくプロジェクト』立ち上げ、
魚食文化の継承、漁港・地域の活性化に取り組む。
近年日本人は魚を食べなくなってきています。
この10年間で魚の消費量は3割も下がりました。
そこには、魚の価格の高騰、骨をとるのが面倒、料理の難しさ、匂いや後始末の大変さなど、いろいろな理由があると思われます。
しかし、日本の魚食文化は古くから先人たちが培ってきた大切な文化です。
魚の本当のおいしさを一人でも多くの方に知ってほしい。
この文化を次世代に繋いでいきたい。
社業を通じてその想いを伝えていきたいという熱意をもって、私たちは今日も走り続けます。